まほろばで君と

人に期待しないのがいい

 自分に言い聞かせていることがある。

「人に期待しない」

人に期待すると期待外れだった時の落胆が大きいし、依存していると言えなくもない。でも、アホやからつい忘れてしまう。人に期待しなければ傷つかなくて済むのに…。

色んなことで人に期待する時がある。友人関係、恋した相手の自分への気持ち、勉強を教えた子供のその後の頑張り等、様々な場面があるけど、期待しないと決めてしまえば腹が立たないし、悲しくならないし、仕方ないと思える。

 

 未成年の時、親に期待した結果、期待外れで落ち込むことが多かった。例えば、仕事が終わったらパチンコ屋に寄らずにまっすぐ帰る、法事に自分だけじゃなく両親も一緒に行く、受験に必死な自分のことをちゃんと真剣に考えるという期待。友人に対しても期待することはあるが、肉親と他人とではショックの度合や納得できない気持ちが違う。「親なのに…」と思う。事の大小にもよるけど、人生を左右する重大なことはショックがものすごく大きい。「息子だからそりゃアテにするでしょ」と思ったが、それさえも期待しない子供だったら苦にならなかったのだろう。

でも、周囲と同じように自分も子供として期待していいだろうと思った。「人に期待=依存」なんだろうけど、未成年の子供が親に精神的、経済的サポートを期待するのは、ある意味、当然だと思う。子供には経済力をはじめ、色んな力や知恵がないし、子供ができない部分を期待するのは別に悪いことではない。しかし、それが期待外れで人生が狂ってしまって、ひどく落ち込んで寝たきり同然の日々を送ってたどり着いた答えが、「人に期待するとロクなことがない」だった。

 

 自分の中では経済的なことより精神的なことの方が大きかった。子供の気持ちに寄り添ってくれたら、気が晴れるし、ひどく落ち込むこともない。それはプライスレスで、本来無理なことじゃない。

比較的最近のことだが、母に生前、「お金があるかないかは二の次で、考え方の問題や」と、大学受験期のことについて話した。親が原因で受験を諦めても納得できるかどうかは、親の考え方や言動によるところが大きい。本人の問題で大学受験を諦めるのとは訳が違う。当時を思い出すと、両親共ピンと来てないという感じもあった。腹が立つほど意識が低かった。両親共にまともに受験を経験してないから、その価値が分からなかったのだろう。

 

 自分自身が変わることはできても、他者を変えることはできない。そういう意味での期待なら、最初からしてはいけない。自分が望むように人が変わることはまずない。

使い古された言葉に「すべては自分の中にある」というのがある。突き詰めればそうなんだろう。でも今の所、見解は変わってないし、今後変わることがあるのか大いに疑問である。

 

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