まほろばで君と

私小説『昨日のような遠い記憶・唯一のコンパ編』第2話「退院祝い」

 <前回の話>

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[1994年の話・主人公は25歳]

 

 一年で最も寒い2月14日の深夜に救急搬送され、長い間入院していた善晶が退院した。それも、院長に早く退院したいと申し出てやっと退院できた。季節が過ぎてすっかり暑くなっている。

病院に外泊届を出して一緒にカラオケや居酒屋に行ってた親しい看護婦のかおりによると、院長はなかなか退院させたがらないらしい。

善晶は同い年のかおりと密かに2人で会ったり、2か月前に彼氏と別れた話を聞いたりしたが、善晶が奥手のため、そのまま自然消滅した。

 

 

 お盆前、コンパに参加した女性1名を除くみんなが退院祝いにと、犬鳴山にあるキャンプ場でバーベキューを開いてくれた。

ただ、善晶は現地に着くまで、事前に行き先も何も知らされず秘密にされて、完全に客人扱いになっていた。車に乗っていたら山に向かって、キャンプ場に着いた。

車に荷物を積むときにバレるから、自分の家に迎えに行くのを最後にしたんだと、その時気づいた。かなり計画的だ。

 歩きにくい岩場を通る際、常に注意を払っている知美が手を差し伸べてくれる。何かにつけてよく気がつく。有数の進学校出身だが鼻にかけるところが全くなく、親しみやすくて優しい。

 

 バーベキューの後、建設中のバイパスのそばにあるグランドに行った。夏の日差しの中、バドミントンをしたりホースで水をまき散らしたり写真を撮ったりしていた。

そうしているうちに夕方になり、街中に戻って夕食にファミレスに行った。

 

 退院祝いは朝から晩まで一日続いた。その間、誰も事故の詳細について触れることなく、音楽や映画やスポーツなど、普通の話をしていた。善晶はこの日のみんなの気配りと誠意が、心からありがたかった。

 

 

 後日、瞳から電話があった。

 

「あの時に撮った写真渡したいからご飯食べに行かへん? 関西ウォーカーATCのおしゃれなご飯屋さんが載ってるんやけど連れてってほしい」

 

 長い入院生活を経て、2月14日のことについてなんとも思わなくなっていた善晶は、瞳からの誘いに素直にOKした。

善晶の入院中に開業したATCアジア太平洋トレードセンター)は大阪南港にあり、ビジネス施設のほかに飲食店、各種ショップ、コンサートが出来る多目的ホール、大型展示場等がそろった複合施設である。

 

 瞳は善晶が自分に好意を持っていたのを知っている。大輔や村上から、コンパの日に瞳が気になると善晶が言っていたと、善晶の入院中に聞いた。もっとも、それを聞かなくてもそうだろうと思っていた。

 

 

 8月下旬の日が暮れかけた頃、瞳の自宅の最寄りの堺東駅のロータリーで待ち合わせ、大阪南港に向けて車を走らせた。善晶は、この頃には車の運転が出来るようになっていた。事故の瞬間の記憶がないので運転への恐怖心は全くない。

 やがて夕方の渋滞を抜けて南港エリアに入り、南港大橋を渡ってATCに到着した。

 

 色んな店が入ったビルの中は人が多くてにぎやかだが、瞳おすすめの店がある地下に行くと、比較的静かな空間だった。その店は炉端料理屋で、入ると座敷に案内された。

瞳から写真を受け取って、その時の話や入院中の治療やリハビリの話をした。特に男女を感じさせる会話はなく、盛り上がるといった感じでもない。お互いにそういう歳でもないし、こんなものかもしれないが、瞳を前にしてときめく感覚がない。決して雰囲気が悪い訳でも会話が続かない訳でもない。

 

 海際にあるそのビルを出たところにスタンド型の観客席と広場があった。そこからライトアップされた夜の海が見える抜群のロケーションで、カップルもたくさん訪れている。善晶と瞳もそこに腰を下ろした。心地よい潮風が吹いている。

 

 帰りの車の中、善晶が「また遊びに行こ」と言うと、瞳が「うん」と答えて、そのまま瞳を自宅に送ってその日は終わった。

 

 

 その数日後、善晶は、コンパした仲間に関する用事で知美と会う機会があった。話のネタに初めて行ったATCがどんな感じだったか話した。深い意味はないが、瞳と行ったことは言わなかった。知美も誰と行ったか聞いてこなかった。すると、

 

ATCの北館にすごく当たる占いがあるらしいよ。機械で出てくるやつやけど、私の周りで評判になってて、行ってみたいと思ってんねん」

 

「俺も男のくせに占いめっちゃ好きやからなんか気になるわ。へぇ、そんな場所あるんや」

 

「じゃあ一緒に行ってみない?」

 

「うん、いいよ。いつ行く?」

 

とんとん拍子に話が進んで、次の土曜日に行くことになった。

 

 

 善晶はまだリハビリで通院しているが、長時間歩いたり、走ったりして骨折箇所に無理な負担を掛けなければ、杖無しで多少歩けるまでに回復していた。

手術で脛骨(けいこつ・すねの骨)の中心に「髄内釘(ずいないてい)」という太い金属の棒を入れたこともあって、ひざやすねが痛むが、この頃には痛み止めを毎日飲まなくても済むようになっていた。

事故の時、ひざのじん帯が伸びきって、足を切断するかどうか迷ったぐらいだから、これぐらいの痛みは仕方ない。右足のひざから下が無くなるよりは遥かにいい。

 

 

※髄内釘(ずいないてい):骨の中(骨髄)は空洞になっているが、そこに通して固定するためのもので、長さはひざから足首の上まであり、直径は1.5センチほどある。

 

<つづく>

 

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