まほろばで君と

欲望より共生を基盤にした社会(福島第一原発事故再考)

 福島第一原発事故から9年が経過します。最近は原発事故に関する議論もほとんど聞かなくなりました。

あの事故は、経済成長や科学技術の発展には限りがないという、一部の人間の傲慢さが引き起こしたとも言えます。刹那的思考による過度な消費主義の行きつく先は果たして発展なのか、みんな気づいているのではないでしょうか?

今一度、考えなければいけないと思うので、西谷修さんが当時書かれたコラムと、私が書いたものを載せます。

 

<ここからコラム>

 

 東日本大震災を経て、これで日本は変わらざるを得ないと多くの人が実感したと思う。経済成長を求めさえすれば社会は自然にうまくいくという考え方が大間違いだったということです。成長を求める経済社会の脆弱(ぜいじゃく)さを、震災と津波が白日の下にさらけ出したという印象があります。

 

日本はこれまで、人が自由に欲望を追求すれば経済に活力が生まれ、社会が豊かになるという前提で進んできた。

特にこの10年は規制緩和が徹底された結果、格差が生まれ、繁栄を謳歌(おうか)するような高層ビルが立ち並ぶ都会の一角では、アパートで餓死する人がいる。人が社会とつながっているという意識がなくなり、若者の無差別殺人が起きるような状況も生まれていた。

 

ところが、震災で家も街も、生活環境のすべてが押し流されると、生き残った人はほかに生きている人がいないか捜し、声を掛け合い、わずかな食べ物を分け合って生きようとするわけです。

決して自分だけで生きようとするのではない。生きるということは、ほかに人がいて初めて意味があり、現実になる。

バラバラな個人が競争して社会に活力を与えるという経済社会の前提は、そこでは成り立ちません。

 

私たちは実は、以前から経済社会の脆弱さに気づいていたのです。水俣病などの公害が明らかになり、「成長の限界」として地球の有限性が指摘されてきた。人間の生存圏であるこの地球を壊すわけにはいかないと、人は気づき始めたと思う。

でもそこで、限界を突破する打ち出の小づちとされたのが原発だった。 枯渇することのない夢のエネルギーとして語られ、日本の成長路線に組み込まれた。 そこで最先端とされた技術がいかにもろいものだったか、福島第一原発事故で明らかになったわけです。

 

思えば産業技術はそもそも、自然環境の破壊を伴うものだった。いわば生きものとしての人間が暮らす世界に対する戦争を、やってきたと言えなくもない。 もちろん人が生きる以上、ある程度は仕方がない。しかし結局は、自然を組み伏せることはできない。 しょせんは釈迦(しゃか)の手のひらに乗っているようなものです。

 

今回の震災で、戦中の大空襲を思い起こした人が多かったと聞きます。もちろん震災は戦争とは違う。しかし、それを「有事」と呼ぶとすれば、それはどこから引き起こされたのか? 経済効率の追求に全ての価値を置く、私たちの産業システムだったのではないか?

私は今回の震災は、世界史的な意味を持っていると思う。 技術には無限の発展があるという西欧発祥の考え方に、根底からの反省を促すものではないかと。

私たちは自然と人間の関係を省みることで、「身の丈に合った世界」を構想しないといけない。 バラバラな個人の自由な欲望追求を原理とした経済社会ではなく、人が共に暮らす人間社会の基盤をどうつくり出すのか。

それを、人間が生きていく具体的な営みの中から考える必要があると思っています。

 

2011年9月29日

 

筆者:西谷修(にしたに・おさむ) 1950年愛知県生まれ。東京外国語大学教授。 著書に『世界史の臨界』、編著に『"経済"を審問する』など。

 

「プレスネットジャパン」 2012年5月22日配信

 

<引用は以上>

 

 開国した明治維新以降、文明は東洋より西洋の方が進んでいると信じ、積極的に取り入れてきた日本。第二次世界大戦後はアメリカの策略で、日本の「アメリカ化」や愚民化(3S)政策が進められた。

そして、読売新聞の創設者である正力松太郎が、アメリカから持ち込んだ原子力発電。 当時は疑うこともなく、科学技術の進歩の産物として受け入れられたのだろう。

 

しかし、東日本大震災をきっかけに、そういう認識は間違っていると多くの人々が気づいた。 経済に関しても、消費することが美徳とさえ思われてきたが、それは消費主義、刹那主義、個人主義アメリカの影響が大きいだろう。消費すればするほど経済が活性化し、科学技術も進歩するという、将来を見据えていない(見誤った)考え方がそこにある。

 

長年、競争社会が続いてきた日本において、東日本大震災の際、秩序ある行動をし、他人を思いやり、共に耐え忍び、努力する姿が見られたことは、共生社会というものを真剣に考えるターニングポイントになったのではないだろうか。

自分さえ生き延びればいいのではなく、ほかの人とつながりをもってこその人生。震災後、至る所で使われた「絆」という言葉がそれを物語っている。

 

かつて、核家族が一般的ではなかった頃の日本は、互恵的利他主義のもと、ご近所同士や町内が相互扶助的で、助け合うのが当たり前だった。

しょう油やみそを切らしたら、ご近所さんに「ちょっとしょう油貸して」と言えたり、電話のない家庭が、近所の電話のある家庭を連絡先として公表出来たりするそんな関係だった。現在のように物資が豊富で便利ではなったため、みんなで生きていくという意識が強かった。

今や死語となりつつある「困った時はお互い様」という言葉がそれを物語っていた。

つまり、共生社会が存在していたのである。個人主義ではない日本にはそういう土壌がある。自己主張を控え、和を重んじ、粛々と行う国民性。先進国では類を見ない特筆すべき点だといえる。

 

今こそ国家が国民と歩調を合わせ、共生社会を目指す(回帰する)時なのだ。経済効果ありきで原発を再稼動するという選択ではなく、本当に人々が望んでいるものを選ばなければ、多大な代償から何も学んでいないことになる。

共生社会とは、他者を尊重し、思いやり、マクロ的な幸福を共有できる社会である。

 


 以下のデータを紹介します。

文部科学省 平成24年版 科学技術白書より】

東日本大震災の後、科学者・技術者の発言に対する国民の信頼はどうなっていると思いますか?

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平成24年版 科学技術白書より:Q.東日本大震災の後、科学者・技術者の発言に対する国民の信頼はどうなっていると思いますか?