まほろばで君と

私小説『月の彼方へ』第1話「過去世と過去」

 人は誰でも「あの時ああしていれば」と思うことがある。後になって、それで人生が変わっていたかもしれないと気づく。今の人生経験や知識、知恵があれば違う判断や行動をしていたのにと思う。

 これは人の数と同じだけあるそんな話。

 

 

 2020年、東京オリンピック開催で盛り上がる中、半世紀を生きてきた善晶は、いまだに独り身の人生を回顧していた。心の闇があって結婚することに積極的になれなかったから当然の帰結だが、良い意味で気楽にいられたら人生が違っていたんじゃないかと考えるようになった。半分は後悔だが、半分は納得できないトラウマへの怒りがある。

 

 長年、19歳の時に経験したトラウマで苦しんでいて、そんな自分についてブログで思いを吐露していたある日、インターネットで知り合った人から催眠療法を勧められた。以前からそういうものに興味はあるが疑念があった。しかし、体験談を聞いていくうちに心の安定が得られる気がして受けてみることにした。最近、ウトウトしている時にとてもリアルな過去の夢を見ることが多くなったので、それも動機になった。

 

 天王寺駅から少し歩いた所の小さなビルにサロンはあった。カウンセリングでトラウマがあることは話したが、最近よく見るリアルな夢については、気のせいだと思われそうで話さなかった。その後、催眠療法に入った。自分が催眠状態になるのか半信半疑だったが、思いのほかすんなりそうなった。

 見えてきた風景は300年ほど昔だと思われる日本の山中で、猟師として独りで生きていた。離れた所に猟師仲間はいるが、それ以外の人との交流は食糧を物々交換する時ぐらいしかない。その過去世の最期の場面を見ると、火縄銃を口に突っ込んで発砲し、自殺を図った。自分は独り身で生きるカルマがあるのかもしれないなと悲しくなったが、納得した気持ちにもなった。

 

 催眠療法が終わり、帰宅してその時のことを思い出した。過去世の情景は映画を観ているような感じで、自分とは関係ない気持ちにもなった。ただ、その日を境にリアルな過去の夢を毎日見るようになった。過去世ではなく今世の過去の出来事。催眠療法で見た情景より遥かにリアルで、感情が揺さぶられる。目が覚めても夢と現実の境界線が曖昧に感じられてきた。あまりにそれが強いので、催眠療法を受けた所に相談に行こうかと思ったが、決して楽ではない日々の生活に追われて行かずじまいになっていた。

 

 

 誕生日が近い1月の休日、年を取る前に何か気晴らしでもしようと思い、家を出て車を走らせた。体調が良いのか、朝から体が軽くて全然しんどくない。

しばらくして携帯電話が鳴った。車を止めて電話に出ようと画面を見たら公衆電話からだった。

 

「もしもし、瀬戸さん?」

 

 聞いたことがあるような声だが誰か分からない。

 

「はい、そうですが……」と、何かの勧誘かと思いながら、いぶかしげに答えた。

 

「なかはしですけど。今どこ?」

 

 なかはしという名前で親しかったのは、中橋知美という女性一人だけだが、最後に会ったのは25年前の阪神淡路大震災の直前で、今はどうしているのか全く知らない。

 

「なかはしさんって、S製薬に勤めてたなかはしさんですか?」

 

「え? そうだけど何言ってんの? 約束の時間過ぎてるから、まだかなと思って電話かけたんだけど」

 

 善晶は意味が分からず、どう答えたらいいか混乱したが、会って話さないと埒が明かないと思い、道に迷っているフリをして場所を聞き、そこに向かった。その場所は車で20分ほどかかるファミレスだった。

 中橋知美なら3歳下だから48歳になる。人のことは言えないが、おばさんになっているだろう。見てすぐに彼女だと分かるだろうか? 25年前、子供が出来ない体だと言っていたが、結婚しているのだろうか?

 

 そんなことや昔のことを考えているうちにファミレスに着いた。

 店内を見回すと、こちらを見ている目と合った。「中橋知美」だったが、幽霊を見たような恐怖を感じた。そこにいる知美は20代前半にしか見えない。つまり、昔会っていた頃の知美がそこにいる。善晶は事態が呑み込めなかったが、席に向かって声を掛けた。

 

「待ってたの?」

 

「30分以上待ってますけど」と、怒りを抑えるような言い方で言われた。

 

 性格のためか、善晶は目の前にいるありえない知美に変なことを言ってはいけない気持ちになり、とにかく話を聞こうと努めた。待たされた様子なので、謝った方がいいと思って「ごめん」と言った。反省している顔をして、自分からあまり話さず、現状を把握しようとした。

 

「映画、次の回にしよ。ご飯食べてから観たいし」と知美が言った。

 

「映画……。何観るんだっけ?」

 

「『スピード』観たいって言ってたじゃん。大丈夫?」

 

「『スピード』って、キアヌ・リーヴス主演のやつ?」

 

「主演が誰か知らないけど、バスに爆弾が仕掛けられて助ける話でしょ?

 

 『スピード』は1994年12月公開のキアヌ・リーヴス出世作。目の前にいる知美の姿を見ると、1994年12月にタイムスリップしたという仮説が成り立つが、催眠療法をしたせいで脳がやられてしまって幻覚を見ているのだろう。いずれにしろ大変なことになったと、一気に緊張が高まった。

 善晶は自分に引け目を感じて知美に好きだと言えなかったことを後悔している。それがあるためにこんな幻覚を見ているんだと自分を落ち着かせた。幻覚だったら下手に抵抗せず流れに任せようと思った。

 

 ファミレスで食事を済ませた後、知美を乗せてシネコンに向かった。今はもっと近くに映画館があるため、そこには20年以上行ってない。10年前に閉館したと聞いた気もする。運転中、横目で知美をチラチラ見て、幽霊じゃありませんようにと祈った。見た感じ、顔が青白い訳でも生気がない訳でもなく、血色も表情も生身の人間のそれだった。リアルな夢を見ているだけなのだろうが、食べたり歩いたりする感覚がどうしても夢とは思えない。それに夢ならこんな風に鮮明に考えられないはずだ。

 

 善晶にある考えが浮かんだ。

 幻覚か夢なら、変なことや恥ずかしいことを言っても問題ないから、昔言えなかったことを言ってみる。アホらしいと思いながらも、知美に好きだから付き合ってほしいと言った。寂しい独身中年男の妄想が爆発して空しいが、夢でも何でもいいから言ってみたいと思った。

 当時、自分の学歴や職歴とは比較にならない進学校の生野高校出身で一流企業に勤めている知美と付き合うなんて無理だと思って、そういうことは考えないようにしていたが、この歳になってみると、気にしないで言えば良かったと思える。

 

 知美が言葉を発した。

 

「うん。分かりました」

 

 幻覚や夢でも気持ちが満たされた。正気に戻るか目が覚めるかしたら現実に戻るけど、良い「精神安定剤」になった。

 

 長年行ってなかった郊外のシネコン、「ワーナーマイカルシネマズ東岸和田」に到着した。確かに『スピード』が上映中だった。チケットを買って見たら、信じられないことだが1994年12月10日と印字されていた。でも、財布の中には2020年1月16日の日付が入った前日の買い物のレシートがある。

 つまり、2020年1月17日だったのが、1994年12月10日に変わったことになる。改めて知美を見ると綺麗な白い肌で、やはり23歳にしか見えない。自分の歳を考えたら、親子か不倫カップルにしか見えないだろう。

 

 次の上映までまだ時間があるので、トイレに行ったついでにタバコを吸ってきてもいいか聞いて、トイレに行った。異常な緊張をしていて気になってなかったが、トイレに行きたくて仕方なかった。

 用を足し、鏡を見て愕然とした。鏡に映った自分が若い。20代にしか見えない。ほっぺたをつねるというベタなことをしてみたら、すごく痛かった。もしかして、本当にタイムスリップしたのか? しかも当時の年齢に若返ったのか?

 仮にそうだとしたら、人生で大きく後悔している2つのうちの1つが解消できる。これはチャンスかもしれない。

 

 映画を観た後、幻覚や夢じゃないかどうか、知美に色々試してみることにした。

 

<つづく>

   

f:id:endertalker:20200124064915j:plain

 

endertalker.hatenablog.com

 

endertalker.hatenablog.com