まほろばで君と

私小説『月の彼方へ』第2話「時空はひとつ」

 <前回の話>

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 タイムスリップしたとしか思えないこの状況と、若返った自分に戸惑いながら、1994年12月公開の『スピード』を観終わった。テレビでも見たので、これで4回目になる。しかし、知美にとっては公開直後なので初めてだった。善晶はその後のキアヌ・リーヴスの作品もだいたい観ているので、爽やかな感じのキアヌ・リーヴスが逆に新鮮だった。

「面白かった。スリリングだったね」と楽しそうに言う知美に、善晶は初めて観たようなリアクションで応えた。

 

 善晶は映画の話もそこそこにして、1か月後に起こる阪神淡路大震災を知美が知っているかどうか探ってみた。

 

「神戸の大地震、映像見たら辛くなるね」

 

「え? 神戸で地震あったの?」

 

 阪神淡路大震災を知っていたら、「家が壊れた人は大丈夫なのかな」といった返答になるはずだが、1994年12月の知美はやはり知らない様子だった。その後は適当にごまかして、次の話題に移った。

 

「メールでウイルスに感染して大変だったよ」

 

「病気してたの? 大丈夫?」

 

 とぼけているようには見えない。1994年はWindows95発売前で、電子メールはまだ一般的じゃなく、「メール」という言葉を聞いても、誰もピンと来なかった。インターネット自体、阪神淡路大震災を契機に認知度が高まった。

 何故、善晶が1994年12月の世界にいるのかはともかく、20代前半にしか見えない知美は、1995年以降のことは知らないようだ。

 

 1994年当時(「今」も1994年だが)、二人で何度も会っていたが、人気のない夜の駐車場の車内で知美に両手で手を握られても、善晶はキスさえしなかった。先述通り、知美と自分は階級が違うと思って付き合うことは考えないようにしていたことと、女性に免疫がなく純情だったことが理由だが、今考えると、知美からすれば自分に魅力がないから何もしてこないと思ったかもしれない。女性に恥をかかせたことを今更ながら申し訳なく思う。純情な男というのは、時に誤解を生むことがある。

 だから、今の状況が現実じゃない可能性が高いこともあるが、人に見られることがまずない阪神高速湾岸線の避難エリアに行き、夜の帳(とばり)の中、キスをした。オリジナルの1994年には到底考えられない。その後の人生経験があるから躊躇なくできたのだろう。

 結局、キスだけでは終わらなかった。知美は拒むことなく、最後まで求めに応じた。その後、あまり言葉を交わすこともなく知美を自宅まで送り、帰路に着いた。

 

 

 自宅に戻ってテレビをつけると、阪神淡路大震災から25年経った報道特集をやっていた。知らない間に2020年1月17日に変わっていた。タイムトラベルやタイムスリップする映画、ドラマは、特殊な乗り物に乗ったり、転落したり、暗いトンネルを通ったりするが、特別何もなく元に戻った。ごく普通に外出から帰ってきただけだ。

 自宅の様子は出掛ける前と変わらず、仏壇には2年前に他界した母の遺影がある。鏡を見ると、見慣れたくたびれた顔に戻っている。時間を旅したという感覚は全くなく、少なくともこの状況は幻覚ではない。今日の出来事に混乱して不安と恐怖でいっぱいだが、今はいつも通りだ。一体どう解釈すればよいのか? 1時間前のことを体が覚えていて、痕跡といえるものもある。

 

 その時、ふと思い出した。催眠療法を勧めた人とのブログコメントのやりとりで自分が書いたことを……。

 時間は過去から現在に流れているのではなく、その瞬間、瞬間を輪切りにした状態で、自分という存在が無限に横に並んで、ルームランナーで同時に走っている。どこにも移動せず、時間の異なる無数の自分がただそこにいるだけというものだ。勝手に思いついたことで何の根拠もないが、それと似た意見がないか調べると見つかった。しかも、アメリカ人研究者の学術的な理論だ。

 そこには、「時間は流れていない。むしろ止まっている。相対性理論をもとにすると、現在・過去・未来は同じ時空間に広がっていて、それが散在している状態にある。なので、流れるという表現は間違いだ」と書かれてある。「1994年12月10日」の出来事は、2つの時代が同じ時空間にあるから起こったのではないか?

 ただ、この仮説通りだとしても、善晶の意志であの時代に行ったのではない。再びあの「1994年」に行くことになれば、オリジナルの1994年にはなかった辛い出来事や想定外の展開もありえる。しかし、悪いなら悪いでオリジナルの1994年への後悔の念が消えるだろうから、今後何が起こっても前向きに捉えようと考え、この奇妙な体験に折り合いをつけようとした。

 

 

 翌日からまたいつも通りの生活に戻った。人に言えるような充実したものではないが、生き抜かないといけないのだろうと自分自身を戒め、励ましながら暮らしている。あの一件で少しばかり浦島太郎の気分になっているが、それがかえって2020年の現実を現実たらしめる。

 そんな今の善晶が過去に行けば、2020年まで生きた人生経験や知識、知恵が反映される。オリジナルの1994年の善晶ではない。それを考えると、過去の世界で今の善晶が何かをやり直しても、そこに意味はないかもしれない。でも、知美への後悔の念にケリをつけることはできるだろう。

 今の感情を表すと、納得したいの一言に尽きる。後悔というのは、納得していないから生じる感情だ。納得していれば、そもそも後悔などしない。

 

 しかし、現実的に考えれば、再び違う時代に行くかどうかなど分からないから、今回の出来事から学んだことを活かして生きるのが本分だろう。人は歳を重ねて経験、知識、知恵を得る。故に、得てきた自分から過去の自分を見ると、歯がゆさや未熟さを感じる。自分だが自分ではない。

 

 人は変わりゆくもので、良くも悪くも過去の自分には戻れない。

 

<つづく>

 

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