まほろばで君と

私小説『昨日のような遠い記憶・同級生編』第5話「花火大会」

 <前回の話>

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[1992年8月の話 主人公は23歳]

 

 善晶と優子が付き合い始めてから2か月が過ぎた。テレビでは連日、バルセロナオリンピックが放送されている。水泳平泳ぎで無名だった中学2年の岩崎恭子が金メダルを取った時のインタビューで、「今まで生きてきた中で、一番幸せです」と答えて、たちまち流行語となった。

 善晶は、これまでの人生で一番幸せだったのはいつか考えたが、やはり今としか思えなかった。特にこの4年は絶望感や孤独感でいっぱいで、生きている感じがしなかった。

 

 そんな善晶だが、優子に対して引っ掛かっていることがある。

 5月にみんなで水族館に行った帰りの車の中で、優子が「アメリカに行こうか考えている」と言ったこと。あの日以来、優子はそれについて何も言わないし、善晶も敢えて聞いていない。ただ、アメリカに行くのがどれぐらい本気か分からないが、「私も好きなことがしてみたい」と言ったのは本音だろう。

 

 8月1日土曜日、2人は車に乗って大阪府富田林市に向かっていた。毎年この日は「PL花火大会」が開催される。日本有数の巨大花火大会である。

 2人とも車で行くのは初めてだった。道路が渋滞するが、2人がいいから電車にはしなかった。電車も大変な混みようだが定刻に着く。時間を選ぶかプライベートな空間を選ぶかの違いだ。

 鑑賞ポイントに着いたが、始まるまで時間があったので、善晶は例の件について優子に尋ねた。

 

「水族館の帰りにアメリカ留学を考えてるって言うてたけど、ほんまに行くん?」

 

「実は、先月まで迷っててんけど、行くのやめた。日本で何かしようって今は思ってる」

 

 優子がアメリカに行きたいと思ったのは、現実逃避の側面もある。優子自身にもその自覚はあった。善晶と付き合っている今、現実から逃げるのではなく、現実を見つめていきたいという気持ちへと変化している。ただし、「私も好きなことがしてみたい」という思いは今も変わらず、強く心の中にあった。

 何かをやってみたい、挑戦したいという思いは、そう簡単には消えない。心に風が吹くと、それに自分の人生を託したくなる。後年、善晶が高校教師を目指したのは、優子の影響もあったのかもしれない。

 

「俺はいつか大学の通信教育を受けようと思ってんねん。今はまだそんな気持ちになられへんけど」

 

「いいやん! 私もしようかなぁ。また調べとこうっと」

 

 色々と話していたら、花火大会が始まる時間が近づいた。善晶はたくさん並んでいる屋台の中から、かき氷とたこ焼きを買って来た。見る体制は整った。

 

 19時55分、花火が始まった。

 10キロ先からでも見えるだけあって、すごい音で、絶えず打ち上がるから空がずっと明るい。それにしてもすごい人だ。 わずか50分足らずのうちに、10万発がひっきりなしに打ち上げられる。

(1992年当時と2019年現在とでは花火の数え方が異なり、現在の数え方に換算すると2万発に相当する)

 

 優子と同じ方向をずっと見ている姿を俯瞰で見ると、初デートで映画館に行った時を思い出す。善晶は、何も言わず2人で佇んでいるのが好きだ。がっつりした会話がなくても成立するこの状態が心地いい。

 

 花火大会が終わり、来た道を帰ろうとしたが、ベッドタウンへの幹線道路は大渋滞だし、熱帯夜だし、早めに休憩することにして方向転換した。こういうイベント終わりでしかも土曜日なので、そういう所はどこも混むから正解だった。

 着いて少しして、カラオケで新曲対決をした。善晶はサザンオールスターズの新曲『涙のキッス』(1992年7月18日発売)を、優子は森高千里の新曲『私がオバさんになっても』(1992年6月25日発売)を歌った。対決と言っても、当時は点数表示がないので勝敗はつかない。優子が『私がオバさんになっても』をニコニコして歌っていたのが、今も鮮明に残っている。

 

 

 

 次の日、善晶が住む町の紀伊国屋書店に行って、大学の通信教育についての本があるか探したが、時期的に中途半端だからか見つからなかった。インターネットがあれば、そんな情報は一瞬で出てくる。しかし、それがない時代は情報一つ得るにも時間と手間がかかった。 お互いに調べてみて、次に会った時に教え合おうと約束した。

 

 この本屋は駅前のショッピングセンターにあって、デパートもあり、飲食店も数多い。 本屋を出て、カジュアルブランドの店を少し廻っていたら12時になったので、何か食べることにした。善晶は王将の餃子が食べたい気分だった。

 

「久しぶりに王将の餃子が食べたいと思うんやけど、優子は何がいい?」

 

「じゃあ王将でいいよ。私も久々かも。天津飯食べよかな」

 

 高校時代、優子はたまに食堂で食べていたが、いつ見ても玉子丼を食べているイメージがあるから、天津飯と聞いて笑いそうになった。

 

 今のように前向きな良い関係が永遠に続くような気がする時もあるが、「良いことがそんなに長く続くのだろうか?」と、善晶に一抹の不安がよぎった……。

 

<つづく>

 

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