2012年10月1日の障害者虐待防止法施行以前、障害者施設での虐待は、罪に問われることなく終わったケースが多々あります。
障害者への虐待を許さないという気持ちから、過去にマスコミで取り上げられた障害者への虐待事例を紹介します。 マスコミに取り上げられたものは、氷山の一角に過ぎないことを踏まえて、どれだけ障害者の人権がないがしろにされたか、ご覧ください。
◆1961年 「重症心身障害児施設島田療育園開設 初代園長小林提樹」
入所時に保護者全員から、入所者死亡時の解剖承諾書をとる。
さらに、園長小林提樹は、介護負担軽減のために「子宮摘出」を認めてもらえないか、園の機関誌に書く。
◆1970年 「東京都府中療育センター闘争開始」
12月府中療育センターに入所していた利用者がその非人間的処遇に抗議し、ハンガーストライキを開始。
◆1975年 「大久保製壜所事件」(東京都墨田区)
薬品瓶メーカーとして業界トップクラスの企業。
当時、従業員(180名)の約8割以上が身体障害者、知的障害者であった(160名)。
当時の社長は障害者雇用に熱心?であり、労働大臣より表彰され福祉モデル工場の認定も受けていた。
組合の告発で、障害者に対する暴力、性的暴力、低賃金、深夜の強制労働、劣悪な処遇が明らかにされた事件。「福祉奴隷工場」とも呼ばれた。
また、同社長は知的障害者施設も経営し「福祉社長」と呼ばれていた。 しかし、事件発覚以後、障害者を雇用していない。
◆1996年 「滋賀サン・グループ社事件」
滋賀県内の知的障害者(約30名)を雇用する肩パット製造の企業(サングループ社)で発覚した虐待事件。
雇用された知的障害者は、長期間(10年以上)住み込みで働いていたが、まともな衣食住が与えられない環境で残虐な虐待行為を受け、年金も横領されてきた。 その間、死者3~5名(病死・栄養失調死等〉が出る。
労基署や福祉事務所はその虐待企業を支援。 社長は年金横領のみで逮補されたが、虐待行為については不起訴。
◆1996年 「水戸パッケージ(アカス紙器)事件」(水戸事件)
1996年1月発覚。
水戸市の知的障害者を雇用する段ボール製造会社 「有限会社アカス紙器」で起きた虐待事件。 知的障害者の保護者の告発で発覚した。
1998年、この事件をモデルにしたドラマ「聖者の行進」がTBSで放送された。
同社は障害者雇用の優良企業とされ、養護学校、職安、福祉事務所等の斡旋により知的障害者を雇用。
知的障害者は住み込みという「たこ部屋」で、賃金1ケ月数千円で長時間労働を強いられ残虐な虐待(暴行、性的虐待)を受けた。
同社は同時に障害者雇用助成金受給を目的に様々に書類を偽造し、高額な助成金を受けていた(だましとっていた)。
しかし、この事件も助成金不正受給の詐欺罪の起訴のみで、判決も執行猶予となり、残虐な虐待については不起訴とされた。
不起訴の理由は虐待行為から時間が立ちすぎているからとのこと。
◆1996年 「山梨富士聖ヨハネ学園事件」
1996年2月に発覚。
山梨県内の知的障害者更生施設聖ヨハネ学園で、パーキンソン病により歩行等が困難な入所者に対し、職員らが食事介助等の放棄、訓練だと暴力を加えるなどの虐待をし、その後に障害者が死亡した事件。
その後の調査で、元看護部長が入所者である3人の女性に対し性的暴行をしていたこと、さらにその元看護部長の犯罪のもみ消し工作として職員を退職させていたことも発覚。
この事態に対し、措置権者である東京都、山梨県が査察指導を行ったのみで、犯罪として責任追及されていない。
◆1997年 「福島白河育成園事件」
1997年4月職員の内部告発により発覚。
福島県白河市にある知的障害者更生施設白河育成園で、入所者に対する暴力と薬づけ、性関係の強要、所持金横領、保護者に対する多額の寄付金強要という虐待事件。
施設長兼理事長は、暴力の有効性と正当性を施設の指導方針とし、日常的に暴力を加え大人しくさせ、手のかかる入所者に対しては「薬づけ」で眠らせていた。
この同施設は、都内の知的障害者を対象に無認可施設として1988年より運営され、1996年1月に保護者からの多額の寄付金提供を条件に、福島県から社会福祉法人として認可された。
その入所者の多くは都内の福祉事務所の紹介で入所。
保護者が動き弁護団結成。 弁護団の告発により「医師法違反、暴行容疑」で福島県警の捜査が行われる。
この事態を受け、厚生省より異例の「入園停止」の通知が出、東京都も緊急対応を行い入所者退園。
これにより施設の運営が困難となり「廃園」となる。 県警は理事長はじめ3人を書類送検。98年4月に法人解散。
◆1997年 「大阪府池田市の福祉施設『若草訓練所』で虐待問題」
知的障害者通所施設である民間福祉施設若草訓練所で虐待の有無、指導法をめぐり前施設長と一部の職員(加害者)が対立。
前施設長の訴えにより市が調査したが、「虐待」はなかったという市の見解がまとめられた。
しかし、「体罰が繰り返されていた」という証言があり、市の関係職員が自殺する等問題は隠されている。 体罰を繰り返していたという指導員は主婦があたっていた。
【参考文献】
『朝日新聞記事データベース』
『毎日新聞記事データベース』
『障害者解放と労働運動』高杉晋吾(1977年)
『府中療育センター闘争の切り拓いたもの・季刊福祉労働3』高杉晋吾(1979年)
『同行者たち』荘田智彦(1983年)
『女性障害者の性的暴力事件裁判・季刊福祉労働65』裁判原告(1994年)
『福祉を食う-虐待される障害者たち』毎日新聞社会部取材班(1998年)