まほろばで君と

台湾エスニック問題 レポート

2007年10月27日執筆

 

 台湾におけるエスニック問題の特性について、知るところを述べる。 (エスニック=民族)

 現代の台湾社会はエスニックに分断されているが、それは自然発生的なエスニックではない。第二次世界大戦後、中国大陸から移住してきた少数派の外省人(がいしょうじん)と呼ばれる人々が、多数派の本省人(ほんしょうじん)と呼ばれる先住漢民族を支配するといった社会構造である。

台湾の全人口の85%を占める本省人と、13%を占める外省人は、共に漢民族であるが、両者の文化、使用言語、職業、居住地域、生活様式アイデンティティは大きく異なる。さらに、全人口のわずか2%に過ぎないオーストロネシア系の先住民は、漢民族が移住して以来、差別的扱いを受けている。

 

 台湾の政治エスニック区分をみると、戦前より台湾に住む本省人は2つに分類できる。一つは、17世紀頃に福建省から移住してきた閩南人(びんなんじん)で、人口の70%を占める。この人々の言語を一般に「台湾語」と称する。もう一つは、閩南人移住の後、広東省から移住してきた客家人(はっかじん)で、人口の12%を占める。客家人広東省出身ではあるが、広東語ではなく、「客家語」を話す。

戦後、支配エスニックとして、台湾社会に入り込んできた外省人は、政治と公経済を牛耳ってきた人々である。外省人は中国大陸全域の出身者を指し、民族としてのエスニックではなく、使用言語も「北京官語」を話すエリートであり、この北京官語が「国語」となっている。

 

 エスニック分断された台湾社会について、インナーシティの視点から見ると、そこには外省人ならではの特徴や特権、優遇措置がある。大前提として、外省人は、公務員、軍人、被雇用者として政権と共に中国大陸からやってきたのであり、必ず政権とエスニックは大陸に帰還するとされていた。したがって、外省人が暫定首都台北近郊に住む都市生活者であることは必然である。

 

 しかし、外省人は、本省人の生活言語を理解できないため、そのネットワークに入ることができない。そのため、都市の繁華街において、商業に従事することはほとんどない。外省人が雇用されるのは国営企業、あるいはそのほとんどが国民党営の大企業である。当然、都市生活者である外省人が地方で農業をすることは皆無である。そもそも外省人は、台湾の土地に興味がないのである。

 

 外省人、特に軍関係者は、「眷村(けんそん)」に集住し、本省人と一線を画して交わらず、鉄壁なエスニックコミュニティを形成している。さらに、外省人には「栄民の家」への入所特権がある。栄民とは、中華民国軍に功績のあった軍人、兵士のことである。栄民の家とは、除隊後の生活を保障するための、いわば福祉施設であり、45歳以上であれば入所できる。ここでは、基礎経費や医療・介護の経費は無料であり、しかも、様々な名目で扶助が行われ、生活が保護されている。当然、本省人は入所不可である。

(特例として、身寄りがなく、最低限度の生活も送れない本省人の高齢者については、選別が行われ、入所が可能となる。)

さらに、「栄民病院」においては、栄民とその家族は無料で医療が受けられる。患者はすべて外省人である。

 

 このように、様々な特権をもつ外省人ではあるが、問題もある。

一つは性の問題である。外省人は独身、あるいは単身で台湾に移り、1989年まで中国大陸へ戻ることは許されなかった。そこで政府が性を経済管理することになり、貧困家庭の女性を性産業に動因、特に雇用が確保されない原住民が従事することとなった。

もう一つは介護の問題である。栄民の家において、戦後50年を経た95年の時点で11万人の独身栄民がいたことや、戦後台湾のエスニック来歴により、男性の割合が多かったことで、独身男性高齢者に固有の問題がある。このような社会問題を併せ持っていたのである。

 

 外省人以外のエスニックにおいても問題があり、都市で生活する原住民は、不安定な雇用や風俗産業への従事など、就職差別を強いられた。都会で成功した本省人の子供に呼び寄せられた親は、都会になじめず、役割のない人生を送る結果となっていた。

 

 ところで、外省人は台湾において、特権階級であったが、その大多数は、妻がいて、子供がいるといった「普通」の生活が送れなかった。このことによって、国家への忠誠心が薄れることはなかったのであろうか。それとも、抗う余地がなかったのであろうか。私にとって、台湾におけるエスニック問題は複雑であり、奇異と感じずにはいられない。

 

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1966年外省人分布